ほぼ底辺だった奴が、旧帝大に受かる話。

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5.今しかない

朝4時に寝て、朝8時に起きる。そして休日は、大寝坊。勉強もあまりしない。この生活を変えたのは、人類を最悪の道へ貶めたウィルスによる対策。

コロナの緊急事態宣言だ。

この宣言で、今までにないほどの連休がやってきた。そこで私は、考えた。

他の人たちを抜かすのには、今しかない

私は、自分の学力が旧帝大に見合っていないことを重々知っていた。だから、ここで勉強して抜かさなければならない。他の人たちが、だらける可能性がある。今しかチャンスはない。

私は、この休みでも昼の3時に起きていたが、起きたら夜まで勉強し、少しゲームをする。という生活にして、少しずつ勉強量を増やした。

緊急事態宣言が解除される頃、高校3年の春には、1日10時間くらい勉強するようになった。


6.それでも結果はでない

夜になるまでは、ずっと勉強していた。部活も大会がなくなり、完全に受験モード。夏休みもひたすら勉強していた。

そして夏休み明けの模試。

私の結果は最悪のものだった

他の誰よりも勉強していた。家でも予備校でも、必死に勉強していた。なのに、だといのに、あらゆる人たちに負けた。負けた相手も東大とか難関国公立を目指している人たちではない。でも負けた。

私には、旧帝なんて無理なのか。そう思った。

この時期は、本当にキツくて、親に怒鳴り、殴りかかろうとしたことを覚えている。


7.それでも変わりたい

私は、模試の結果を受けてもなお、諦めなかった。

それでも毎日勉強した。寝る前以外は、ほとんどゲームもYouTubeも見なかった。毎日、毎日勉強した。

そのおかげか、オープン模試では”C”判定だ。しかし共通テスト模試では、あまり良くない判定だった。

だって最後の共通テスト模試では国語、89/200だったから。

だから毎日寝る前に古典の単語を見て、国語のセンターは1990~1999年と2006年、2010~2020年加えて追試を全て解いた。さらに共通テスト対策の問題を10本。

私は、ひたすらに勉強した。

そして、共通テスト本番で何とか合格率50%まで持ってきた。ちなみに、国語は144点だった。イエイ。

だが共通テストが終わってすぐ、私の母はコロナになった。幸いにも重症化することは無かったが。私は、自宅から出ることが出来なくなった・

共通テストが終わり、遂に国立の二次試験を控えている。でも、予備校にも学校にも行くことは、しばらくできなかった。

私は、毎日不安を抱え、家で一人、静かに勉強していた。不安をひたすらに抑え、合格したら全て終わると考えながら、何とか気力を振り絞った。私立の入試が近い。


8.これは、ヤバい。

自宅待機が終わってすぐに、私立の入試。

しかし私立の入試が割と早く終わった。多分、早稲田は落ちた。100%落ちた。でも他の私立は、何とかなるだろう。

私は、とにかく国立の二次試験のことだけを考えて、ひたすら勉強した。

しかしまたも、予備校の最後の数学の模試で60/300点だった。問題が難しいのでは?と考えるかもしれない。私もそう思いたかった。

しかしその数学の先生は「みんなに自信を付けて欲しいから最後は簡単にしたよ

私は、絶望した。もうダメだ。と思った。私の学力は、旧帝と見合ってない。そう思った。私の周りでは、満点や7割以上の人ばかりなのに。私は、2割。

だが、もう2週間もない。落ち込んでいる暇があれば、進むしかない。私は、もうやるしかないと考えた。


二次試験まで1週間を切る頃には、起きている間勉強しかせず、一日14時間くらい勉強していたと思う。


9.最後の準備。

明日遂に、二次試験、という日。私は最後の仕上げに今まで間違えた問題を復習した。そしてその日は、22時20分頃寝た。

しかしほぼ眠れなかった。ここ一週間、真面に寝れていない。毎日のように嫌な夢にうなされていた。本番の朝も例外ではない。

「プルプルプル」

朝起きると、電話が鳴っていた。母だ。しかし私は、眠りの浅さと疲労のせいか、体長は最悪だった。途轍もなく、低くガラガラとした声で「ああ」とだけ言った。数分で電話を切った。


会場に向かう。ビラを配っている人が数人。しかし受験生は、誰もが無視をした。私もその一人。この後のこと考える以外できなかった。

会場に着くと、途轍もない人数の人。そして親。なんで親がいんねん・・・。

どうやら両親と来た人がいくらかいたようだ。そして会場まで親と来た人がいたらしい。正直、羨ましいと思った。

私は、受験教室に着いた。ついに、最後の戦いだ


10.最後の勝負

大学の先生?が問題用紙等を配るのが遅れた。そのため入試の開始がギリギリになった。どうやら交通機関が影響したらしい。

最初は、数学。私が最も懸念している科目

しかし見た瞬間に解法が浮かぶものがいくらかあった。私は、その問題を死んでも落とさない。と誓い、慎重に解いた。

そして、いくつかの問題も少し解けそうだった。私の作戦は、全ての問題に手を出して、一番最初の簡単なやつを解き、点数を稼ぐ。というものだった。その作戦を実行して、数問解いた。

しかし大問4が分からない。私は、覚悟を決めて解かなかった。


長いテストが終わった。1枚の白い紙と4枚の解答用紙を提出した。

英語は、特に何もなかった。型通り長文と英作を解いた。

最後に、化学+生物。

私は、自分の全てをささげようと問題用紙を開く。

驚いた。昨日、ちょうど復習したものばかり。しかし私は、努めて冷静に解いていった。そして何事もなく、化学は終わり、生物へ。

私は、生物が得意だった。だが初めて見る問題がいくつかあった。私は、焦らずにいったん他の問題を解いた。これも私の作戦の1つだ。

残り70分ほどで、ひどい頭痛に見舞われた。

一週間ほど前から、勉強していると頭痛が私を襲うようになった。今日もその一日。

しかし、私はもうあと70分で全てが終わる。それまで気を緩めない。目の前の文字の羅列に集中した。一心不乱に問題を解いた。


全科目の試験が終了。これにて、私の受験は一応終わった。全て終わった。


最後の結果

遂に今日が合格発表。

数日前に答え合わせをしようとしたが、私は問題用紙に解答をちゃんと残していない。なぜなら、答え合わせをしても結果は変わらないから。

でも気になって、一応答え合わせをした。正直、分からない。解答もおぼろげだし、点数も分からない。分からない。

朝8時20分ごろ、目が覚めた。下に降りる。

下に降りて、顔を洗い、お手洗いへ。リビングには母と姉。親は、今日が合格発表だと知っている。しかし、何も言ってこない。気を使ってくれているのだろうか。

私は、8時45分ごろ自室に籠った。そしてスマホを充電した。スマホのゲームをした。しかしその内容も記憶も鮮明な象を見せない。

10秒もしていないのに、壁にかかる時計を見ている。何度も何度も。時計を見る。受験期は、あんなに速く動いていた秒針も今日は、故障でもしたのかと思うほど遅い。

それでも1分、2分と時を刻む。あと数分。

もう心臓の鼓動は、秒針を追い越し、狂ったメトロノームのようだ。

身体に響きわたる脈。口の中はひどく乾いているが、そんなことは気にならない。スマホの画面を見ているのに、考えているのは自分の番号。

身体が苦しい。呼吸が浅く、貧乏ゆすりは止まらない。


時計は、9時を回った。

私は、スマホの履歴をみて、直ぐにページへ向かった。

ない。合格発表の欄。 

何度もページを更新していると、

ある。合格発表の欄。

私は、自分の入試形態を選択して、みた。

心臓が、一瞬ドッ!と跳ねた。

「なんだ。番号順か」

一瞬、自分の番号がないと思ったが。合格者は、私以外にもいる。そんなことも分からなかった。

小刻みに、ブルブルと震える指。

呼吸をしている自覚はない。

身体から警報音が鳴り響く。

ゆっくり、ページを下へ向かう。

・・・

032

次か次の次に私の番号はある。

指を下に動かした。

034。

「っす!」

息を素早く吸った。心臓は、爆発した。スマホを持つ手が震えた。目が大きくなった。何度も確認した。ちゃんと確認した。

自室の扉を開放した。階段を駆け下りた。大した段数でもないのに、足を踏み外した。

でも駆け下りた。そして、リビングの扉を開けた。

母と目が合った。

1秒か、5秒かほんの一瞬、時間は動くことをやめた。

私は、

うかったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

私は、部活の練習よりも、模試で良い点を取った時よりも、受験期に親に怒鳴ってしまったときよりも、強大な喜びの形を具現化した。

番外編

私は、今大学生だ。去年、死ぬほど厳しい受験を乗り越えた。自分には見合わない学力の大学を選んだからだ。

しかし結果は、実った。

もし不安で仕方がないという人も、自分を信じて欲しい。どれだけひどい結果をしていようと、本番でいい結果ならすべてOKなのだ。

大丈夫だ。大丈夫だから。不安でもこれまでの結果が酷くても大丈夫だ。

本番で結果を出せればいいんだ。

大丈夫だ。

これを最後まで読んで下さった方に、桜が咲くことを願わずにはいられない。

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